旧校舎の鏡〜その後〜


「ねえねえ、倉田さん」
昼休み、昼食をとり、一休みしていた私に、クラスの女の子が声をかけてきた。
「なに?」
「ほらほら見てよ、三年生の男の先輩が、あなたのこと呼んでるよ?」
「えっ?」
私は教室の入り口の方を見た。
仏頂面でこっちを見ているあの人は・・・。
「新堂さん」
私はちょっと嬉しくなって声を出してしまった。新堂さんには聞こえただろうか?
私と目が合うと、新堂さんは軽く手を振ってくれた。私は小走りに彼のもとへ駆け寄る。
「よう、倉田。元気そうだな」
ちょっとぶっきらぼうに、新堂さんは言った。

新堂さんとは、ある新聞部の会合で知り合った。
私の所属する新聞部の企画で、学校であった怖い話を特集することになり、私はその
会合の責任者に選ばれたのだ。
会合は、学校にまつわる怖い話を知っている人たちが七人集まり、一人ずつ話をして
いく、といったものだった。
だが、実際に集まったのは六人。その六人の中に、新堂さんがいたのだ。
彼が話してくれたのはたしか・・・

「どうしたんですか?新堂さん。わざわざ教室まで来るなんて。何かご用ですか?」
私が聞くと、新堂さんはふぅっとため息を吐き、
「何だよ忘れちまったのか?旧校舎に連れてってやるって行ったじゃねえか。」
「あ・・・」

そう、彼が話してくれたのは旧校舎の話。
旧校舎の階段の踊り場にある一枚の鏡の話だった。
その鏡は異世界とつながっていて、夜中の三時三十三分三十三秒に鏡に両手を付くと、
異世界の住人と入れ替わられてしまうという。
彼の話では、その鏡はある人によって割られてしまい、今はその効果はないらしいが…。
その話をした時、私が旧校舎に行ったことがないことを話すと、彼は、
「よし、今度俺が連れてってやる」
と言ったのを私は思い出した。

新堂さん、そんな事を覚えていてくれたんだ・・・。
私は何だか嬉しくなった。
「お前、今日の夜中は時間大丈夫か?」
新堂さんは聞いてきた。今日は特に用事はない。
でも、夜中ってどういう事なのかしら?
「旧校舎に行くなら、放課後とかでもいいじゃないですか?どうして夜中なんですか?」
私が尋ねると、新堂さんはふふんと含み笑いをもらした。
「せっかく行くんだからよ、例の時間に鏡を見に行こうぜ?」
「えっ?でも鏡は割れてしまったんじゃ・・・?」
「いいじゃねーか。俺が話したことだし、気分も盛り上がるぜ?」
新堂さんは私に鏡を見せたくてしょうがないみたい。
私も、怖いもの見たさと言うものがあったみたい。
でも…ただ素直にうなずくのはちょっともったいないような気がする。そうだわ。
「いいですよ。じゃあ、今日の夜、一緒に見に行きましょう。」
「そう来なくちゃな。じゃあ、今日の夜中の三時に待ち合わせしようぜ」
新堂さんの言葉に、私はちょっと意地悪そうに言ってみた。
「新堂さん、私夜中に一人で学校に行くんですか?」
「あ?」
「怖いから、私の家まで迎えに来てくださいよ」
・・・・・・。
沈黙が私と新堂さんを包んだ。
あ、ひょっとして引いちゃった?
「・・・ごめんなさい・・・。冗談です」
私は頭を下げた。
「まぁ、何でもいいけどよ。とりあえず、今日の夜中の三時な。忘れんなよ」
新堂さんは何事もなかったかのようにそう言うと、自分の教室に帰っていった。
彼の姿が見えなくなった頃、予鈴が鳴った。
大変、次は移動教室じゃない。私は慌てて準備をはじめた。

 
今は夜中の二時過ぎ。私は学校へ向かう準備に取り掛かっていた。
今から向かえば、三時には学校に着くわ。私は親を起こさないように気をつけながら、
家を出た。
玄関の門を開けると、
「よぉ、倉田」
突然名前を呼ばれて、私は心臓が止まるところだった。声をかけてきたのは・・・
「迎えに来たぜ」
「新堂さん?」
なんと、本当に新堂さんが迎えにきてくれたのだ。私は嬉しくなった。
軽くあしらわれてしまったと思ったのに。
「よく考えたら、夜中に女一人で歩かせるなんて物騒だからな。」
そう言うと、新堂さんは照れくさそうに横を向いた。そして軽く咳払いをすると、
「それじゃ、行くか」
そう言って、彼は私の手をひいて歩き出した。
しっかりと私の手を握る新堂さんの手は、少し汗ばんでいて、そして私を離そうと
しないような、そんな感覚を覚えさせた・・・。
私は無意識のうちに、ううん、ひょっとしたら意識していたのかもしれない、新堂さん
の手を握り返していた。


風がない。音がない。
夜中の学校は、昼間見ている姿とは全くちがう。
何か、私の知らない姿をさらけ出しているよう。
私も新堂さんも、思わず校門の前で立ち止まってしまった。
空は明るい。真夜中なのに、夜空は白んでいて、まるで発光しているようだわ。
新校舎も、夜空と同じように発光しているように見える。
私は全身の毛がぞわぞわっと逆立つ感覚を覚えた。
何か嫌な予感がする。
「嫌な感じだな」
突然、新堂さんがそういった。でも、私も同感だわ。
「どうします?私、行かない方がいいような気がします」
「おいおい、ここまで来てそりゃねぇだろ?せっかく来たんだから、行こうぜ」
新堂さんはそう言って私の手をひいた。

私たちが向かう先は、新校舎よりも奥にある、今は立ち入り禁止の旧校舎。
旧校舎を目の前にして、またしても私たちは立ち尽くす。
昼間見てもぞっとするその校舎は、夜中見ているとまるで生き物のよう。
一歩足を踏み入れたら、もう無事では帰れない、そんな気がするのは私だけ?
それとも新堂さんも・・・?
私の手を握る新堂さんの手が、震えているような気がする。
それとも、震えているのは私の手?
今まで無風だったのに、生暖かい風が吹き抜け、近くにある満開の桜を散らしていく。
不気味に舞う花びらが、私たちの体にまとわりつくようだわ。
私は気分が悪くなってきた。
「新堂さん、やっぱり帰りましょう」
私は新堂さんの体をゆする。でも新堂さんは、
「大丈夫だよ。鏡のあった場所は入ってすぐのところだ。一目見てすぐに帰ればいい
 だろ?」
そう言うと、私の返事を聞かずに手をひいて校舎に入っていった。
 
今になって思えば、どうして私はもっと必死になって止めようとしなかったのか・・・。
そうしていれば、あんなことにはならなかったかもしれなかったのに・・・。
自分の好奇心を呪う。


一歩足を踏み出すたびにまるで死者の悲鳴のような音を立てて床がきしむ。
腐った木の臭いと、舞い上がったほこりが、息をするたびに口の中に広がる。
何より、この建物全体に充満しているかのような嫌な感じが、私をどうしようもない
気分にさせる。
目的の場所はまだなの?一体どれくらい歩いたの?時間の感覚が狂って、一秒が何十
分に、一分が何時間にも感じられる。
新堂さんは私の手をひいてどんどん進んでいる。
「・・・新堂さん・・・?」
私が声をかけると、新堂さんは足を止めた。
私も立ち止まる。
気がつくと、目の前には階段があった。まるで突然現れたかのように。
「鏡は、ここを上ったところにあるんだぜ」
新堂さんはそう行った。そして、息を吸い込むと、
「よし、行こうぜ」
そう言って、階段を上り始めた。
私達が体重をかけると、階段は大きくきしむ。崩れてしまいそうだわ。
一歩、一歩、踏みしめるように、私達は階段を上る。
そして、最後の一段を上りきったそこに、それはあった。

鏡が、私と新堂さんの姿を映し出していた。
それを見て、新堂さんは凍りつく。私も自分の目を疑った。
彼の話では、この鏡はたしか・・・。
「新堂さん!どういうことですか!?鏡は割れてしまったんじゃ・・・」
新堂さんの顔が、見た事も無いくらいに青ざめている。歯をカチカチと鳴らすほど震え
、全身に冷や汗をかいている。
「割れたはずなんだよ…確かに俺の目の前で…あの時確かに割れたはずなんだよ…!」
最後のほうは、半ば叫ぶように新堂さんは言った。
そのとき、鏡の表面がゆらめいた。
かと思うと、まるで水のようにたゆたう鏡面から、ぬっと一対の腕が伸び、新堂さんを
つかんだのだ。
「うわあ!」
彼の悲鳴が響くなか、新堂さんをつかんだ腕は、新堂さんを鏡の中に引きずり込んで
しまった。

「新堂さん!」
私は叫んだ。だが、そこには見なれた人物が立っていた。
今まで新堂さんが立っていた場所にいたのは・・・、
「・・・新堂さん・・・?」
そう、紛れも無いその人物は新堂さんだった。だが、私にはわかる。
この人は確かに新堂さんだが、私の知っている新堂さんではない。
鏡の向こう、異世界の住人の新堂さん。
“彼”は私を見て、にっと笑った。
背中に液体窒素でも流し込まれたような感じがした。
体中の関節が、がくがくと震え、全身からは冷や汗が吹き出す。
逃げなきゃ・・・!私はとっさにそう思った。
だが、私の身体はまるで私のものではないかのよう。全く言うことを聞かない。
それに、今ここで逃げ出してしまったら、新堂さんは?
私の知っている、あの大好きな新堂さんは?
そう思うと、私はその場を逃げ出す気にはなれなかった。
何とかしなきゃ・・・、でも、どうしたらいいの?
「あいつを返してほしいのか?」
突然“彼”が言った。私はうなずいた。
「じゃあ、取引だ。」
そう言って、“彼”は私の手を引いて鏡の正面にたたせる。
「お前が、代わりに向こうの世界へ行けばいい。そうしたら、あいつをこっちに返して
 やる。」
「そんな・・・!?」
「向こうの世界は地獄だぜ?今頃あいつも苦しんでるんじゃないのか?」
“彼”はそう言うとけらけらと笑った。
・・・まるで悪魔だわ・・・。私はそう思った。
でも、“彼”の言ってることが本当なら、今頃新堂さんは…。
「決まりだな」
私の心を読んだのかしら?“彼”は私の背中を押した。
私は少しよろめいて、鏡に両腕をつく。
そのとき、“彼”は言った。
「せいぜい向こうであいつと仲良くな」
騙された!私は確信した。
“彼”は新堂さんを返すつもりなんてなかったのだ。
でも、もう遅い・・・、私は覚悟を決めた。
鏡面が揺らめく・・・そして
そこにうつっていたのは・・・!?
「なっ!?」
“彼”が、驚愕の声を上げた。私も、自分の目を疑う。
「馬鹿な!?お前は一体・・・?」
そんな、まるで私が化け物みたいな言い方しなくてもいいじゃない…って、そんなこと
考えてる場合じゃなくて、“彼”はわなわなと震えながら鏡を指差している。
私はもう一度鏡を見た。

・・・鏡に映っていたのは私じゃなかった。
私と同じポーズで鏡の向こう側にいたのは、男子の制服を着た男の子、そう、私は知っ
てるわ、この男の子のことを。
そして、また鏡が水のように揺らめいたかと思うと、そこから彼が身を乗り出した。
「サカガミィ!!お前か!?」
“彼”は憎悪に歪んだ顔で彼を睨み付ける。
でも、彼の手はしっかりと“彼”の腕をつかんでいた。
「さあ、こっちへ来るんだ!そっちはあなたのいるべき場所じゃない!」
「じょ、冗談じゃねえぞ!そっちの世界はもうゴメンだ!せっかくこの機会をモノに
できたと思ったのに!」
“彼”は必死にその手を振りほどこうとするが、彼はそれを許さない。
下半身はまだ鏡の中、いつだったかに新堂さんが話してた鏡の悪魔もこんな感じだった
のかしら・・・?
「あるべき場所に帰るんだ!あなただけ逃がすわけにはいかない!」
彼の声が、夜の旧校舎に響く。
「いやだ!『あの女』に監視されて毎日毎日『あの女』に脅えながら、そこにいるのは
もう耐えられねえんだよ!」
一体どんな世界なのだろうか・・・?鏡の向こうに広がる世界とは・・・?
でも、新堂さん・・・!
「新堂さんを・・・新堂さんを返して・・・!」
私は、つぶやくように叫んでいた。
彼が引っ張る。“彼”の身体は少しずつ鏡に引き寄せられていく。
そして、腕から、足から、“彼”は鏡の中へひきずりこまれていく。
「覚えてろサカガミ!俺達全員お前をゆるさねえ!お前を呪い殺してやる!」
“彼”はそう言った。そして、全身が鏡の中に吸い込まれる瞬間、恐ろしく憎悪に満
ちた表情で私を睨み付けていった・・・。

“彼”が消えたそこには・・・、
「新堂さん!」
私の大好きな新堂さんが、そこにいた。
「・・・倉田・・・?俺は・・・?」
新堂さんはきょろきょろと周りを見る。私もつられてきょろきょろしてしまった。
はずみで、あの鏡が目に入る。
一瞬、鏡面が揺らめいて見えた。私はぞっとする。その時、
『倉田さん!鏡を割るんだ!』
彼の声が、私の頭の中に響いた。私は近くにあったモップの柄を、鏡に叩き付けた。

それから、私と新堂さんは手をつないだままその場を逃げ出した・・・。
校門を出る頃、まだ時は真夜中だった・・・。


朝、起きる。顔を洗いに洗面台へ。
鏡に映っているのは、私。でも・・・。
「おはよう」
私の頭の中に、彼の声が響く。私は鏡を見る。
鏡の向こうで私に微笑みかけているのは、彼。
「おはよう」
私も、彼に微笑みかける。
瞬きをした瞬間に、彼は私に戻ってしまったけど・・・。
さあ、学校に行こう。大好きな新堂さんが、そろそろ迎えに来てくれるわ。
今日からまた、いつも通りの生活が始まる・・・。

そして恐怖は繰り返す・・・


  さらに もう一つのその後・・・   もう朝か・・・。気が重い。 昨日の夜の出来事が、まだ頭から離れない。 俺は布団から這い出、顔を洗うために洗面台へ向かった。 鏡には俺の顔が映っている。そう、俺の顔が・・・。 その、鏡の向こうの俺が、にやりと笑った。 「!!」 俺はぎょっとして思わず後ずさる。弾みで背中を壁にぶつけた。 だが、鏡の向こうの俺は、口元に笑みを浮かべたまま俺を見ている。 そして、奴は大口を開けて高らかに笑った。 「あーっはっはっはははっははははっはっはっはは!!」 「ひぃっ!」 俺は思わず情けない声をあげていた。 奴の声が俺の頭の中に響く。 「あの鏡を割ればすべてが終わると思ったのか?  だったらあのときすでに終わっていたはずだろ?鏡はどんなところにでもある。  そして、おまえが鏡に映ったときには、俺もそこにいるんだよ・・・!」 俺は、這いずるようにその場を離れた。 鏡に映っているのが耐えられなかった。 頭に浮かんだのは、倉田の顔・・・。 早く、あいつのそばに行きたかった。あいつの顔が見たかった。 俺が、前につんのめるようにして立ち上がったとき、誰かに肩をつかまれた。 そこにいたのは・・・。 玄関の扉を開けると、新堂さんが迎えに来てくれていた。 このところ毎日なの。 「おはようございます、新堂さん」 「・・・おはよう、倉田」 水たまりに映った私たちの姿は・・・。


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