続・人形の生け贄<中編2>


微かにきしんだ音を立てて、ドアが開いた。
「よお、坂上。早いな」
日野先輩が顔をのぞかせる。
僕は彼の姿を確認するやいなや、さっきのファイルの1ページ目を見せた。
「日野先輩、よく思い出して下さい。ここに確かに荒井さんの名前があります。
 日野先輩は荒井さんのことを知ってるんでしょ?七不思議の会合は、はじめから七人
 出席するはずだったんですよ。そして荒井さんは確かに出席していたんです。
 日野先輩、荒井さんって、一体何者なんですか!?」
最後の方はかなり声を荒立てていたのが自分でもわかった。

「・・・・・・」
日野先輩は、じっとファイルを見つめている。かと思うと、
「・・・クッ・・・クックック・・・。そうだそうだ。思い出したぞ。荒井昭二」
彼の目の光が変わった。
「まだここに留まってるのか・・・。厄介だな・・・」
言って、親指の爪を噛む。
僕は問いかけた。
「荒井さんって、いったい何者なんですか?」
日野先輩は、僕の方に向き直って答える。
「荒井昭二ってのは、言っちまえばこの学校に巣くっている小悪魔だよ。あいつを
 飼いならしてる奴がいたんだけどな、あいつの欲しがってるものを与えつづけたら、
 結局自分が取り込まれちまった。間抜けな話だぜ」
「じゃあ、毎年人形の生け贄になっていた生徒は・・・」
「荒井昭二が気に入った奴だったんだろ。そいつが欲しかったから、自分のものに
 しようとした。そんなところだろう」
日野先輩はそう言うと、含み笑いを漏らした。

彼のその姿を見て、僕は腹が立ってきた。
日野先輩は、荒井さんが何者で、どんなことを考えている人なのかを知っていた。
そしてそれを承知で、彼をあの七不思議の会合に出席させたのだ。
「日野先輩、どうしてそれを知っていながら、彼をあの会合に呼んだんですか!?
 僕はそのせいで、人形の生け贄になるところだったんですよ!?」
僕は日野先輩に向かって大声を張り上げていた。でも、日野先輩は怯むどころか、
まるで僕を嘲笑うかのように答える。
「そんなの知ったことかよ。お前が生け贄になるか否か、それはあいつが決めたこ
 とだろ?お前がたまたま荒井に気に入られた、それだけのことじゃねえか」
・・・僕はもう少しで、彼に殴りかかっているところだった。
でも、今はそんなことをしている場合じゃない。荒井さんについて、最も多くのこと
を知っている日野先輩に、少しでも話を聞くほうが大事なんだ。

「・・・夢の中で、人形が僕に助けを求めていました。荒井さん、ひょっとしたら何か
 苦しんでいるんじゃないでしょうか?」
僕がそういうと、日野先輩は何言ってるんだ?と言いたげな顔をして僕を見た。
「日野先輩?」
「お前、大きな勘違いをしているみたいだな。」
大きな勘違い?どういうことだろう?
「荒井昭二と人形は、同一存在じゃないぜ。人形は、あくまで荒井の奴に使役される
 存在だ。文字通り、操り人形のようにな」
「そんな・・・。ってことは・・・」
夢に出てきたのは荒井さんじゃない。あれは確かに人形だったんだ。
人形が僕に助けを求めていたんだ。
なるほど、それなら屋上での出来事、夢と現実のギャップ、そして、人形がどういっ
た存在なのかも納得できる。

でも・・・、このことだけじゃ、どうしたらいいのかがまだわからないな…。
「日野先輩、ほかには何かわかりませんか?」
「さあな・・・。知ってるのかもしれないし、最初から知らないのかもしれない。
 ただ、今の俺にわかるのはこれだけだ」
そうか・・・。荒井さんに変えられた記憶が、完全に治ったとも言えない。
どうしたらいいだろう・・・?
おそらく荒井さんは、まだ僕のことを気に入っているのだろう。
そして僕を自分のものにするために、また僕の前に現れたのだろう。
でも、僕はまだ死にたくはない。せっかく生き延びることができたのに。
なんとかしなくちゃ、荒井さんはまた僕を連れて行こうとするだろう。
どうしたらいいだろう・・・?何かヒントはないか・・・?
と、考え込んでいると・・・、

こつ・・・

昨日の放課後と同じように、小さくドアをノックする音がした。
僕と日野先輩は顔を見合わせる。
日野先輩が、軽くあごでドアを指した。僕はうなずくと、ゆっくりとドアを開けた。
ドアの向こうには・・・、
「あ、早苗ちゃん」
やっぱり昨日と同じく、早苗ちゃんがにっこりと笑って立っていた。
「坂上君、一緒に帰ろ」
早苗ちゃんは僕の顔を見ると、いきなりそう言った。
僕は思わず日野先輩のほうを見る。
日野先輩は、いつもの人のいい先輩の顔に戻っていた。
「いいんじゃないか?もう今日はやることもないし、せっかくのお誘いなんだから
 付き合ってやれよ、坂上」
・・・どうやら、これ以上は何も知ることはできないようだ。
僕は早苗ちゃんに向き直る。
「じゃあ、一緒に帰ろうか」
僕はそう言うと、彼女に手をひかれながら新聞部の部室を後にした。

気がつけば、窓の外はもう薄暗い。
曇った天気だったのもあって、あっという間に外は暗くなってしまったようだ。
少し肌寒い。そろそろ衣替えでもしないと・・・。
僕と早苗ちゃんは、並んで廊下を歩いている。歩くたびに靴の音が廊下に響き、何だ
か僕ら以外にも誰かそばにいるみたいに思える。
でも、廊下には誰もいない。
歩いているのは僕らだけ。
もうみんな帰ってしまったのだろうか?
いつもなら、まだ生徒達がいてもおかしくない時間なのに・・・。
僕はいろんな事を考えながら歩いていた。せっかく早苗ちゃんと一緒に帰れるのに、
まるで上の空。でも、考えずにはいられない。

階段に差しかかったときだった。
下りの階段を降りるために一歩足を踏み出そうとしたとき、すぐ隣にいた早苗ちゃん
の身体が宙に浮いた。
「早苗ちゃん!!」
僕は手を伸ばしたが、届かなかった。
早苗ちゃんは真っ逆さまに階段を落下していく。
もうだめだ、僕がそう思ったときだった。
『坂上!後ろだ!』
その声に反応するように、僕は真横に転がった。
二本の腕が空を切る。僕がいた場所のすぐそばに・・・荒井さんが立っていた。
「また邪魔が入りましたね・・・。坂上君」
ぞくりとするような笑みを浮かべて、荒井さんが言う。
僕は、はっとして階段の下を覗き込んだ。
・・・彼女は無事だった。
いつのまにか踊り場に現れた新堂さんが、早苗ちゃんの身体をしっかり受け止めて
いてくれたのだ。僕は胸をなでおろす。
「さあ、坂上君。僕と一緒に行きましょう」
荒井さんが僕に歩み寄ってくる。まずい、身体がうまく動かせない!
どうやら腰が抜けてしまったようだ。
僕は座り込んだまま、ゆっくりと近づいてくる荒井さんを見ていることしかできなか
った。
彼はそれがわかっているのだろう。慌てることなく、一歩ずつ、歩みを進める。
そのゆっくりとした動作が、僕の恐怖をさらにあおる。
逃げなきゃ、殺されてしまう・・・!
でも、僕はじりじりと後退することしかできなかった。
「さあ、坂上くん・・・。僕と行きましょう」
荒井さんの冷たい両手が、僕の首に触れた。

もうダメだ、僕があきらめかけた瞬間、
「おっと、そうはさせねえよ。荒井」
日野先輩が、荒井さんの頭を後ろから鷲掴みにしていた。
その表情は歪んだ笑みに満ちていて、僕はそれにも恐怖を感じた。
「日野さん・・・、思い出してしまったのですか・・・」
荒井さんは動きを止めたままつぶやく。
そして僕も身動きがとれないでいる。これから、どうなる?
僕は、つばを飲み込んだ。
「全く、手の込んだ真似をしやがるなぁ。でもよ、俺をなめてると痛い目を見るぜ?」
荒井さんは、僕を飛び越えるように日野先輩と距離をとると、憎しみに満ちた表情で
彼を睨み付ける。
「どうしてみんな僕の邪魔ばかりするのでしょうかねぇ。僕だって我慢できる限界が
 ありますよ」
日野先輩が鼻で笑った。
「わがままなガキが何言ってんだ。おまえは我慢なんてしたことねーだろ?」
「とにかく、坂上くんは僕と一緒に来てもらいます。僕はもう、一人で残されるのは
 嫌ですからね。」
その時、僕の背後に気配が現れた。
体を動かしてみると、もう、自由になっていた。立ち上がり、そして振り返る。

いつのまにか、そこには新堂さんが立っていた。階段の下にいたはずなのに、早苗ち
ゃんを抱きかかえたまま、彼はじっと荒井さんを見ている。
荒井さんは少しびっくりしたような顔をしていたが、すぐにクスクスと笑いだした。
「君もなかなかしぶといですねえ。もう少しきちんと壊しておくべきでしたよ。」
新堂さんの身体が、微かに震えている。
しかしそれは、恐怖に対する人間の震え方ではなく、もっと硬質的な"何か"が振動し
ているような、そんな震え方だった。
「・・・在るべき場所に・・・帰るんだよ。もう・・・これ以上・・・従え・・・ナ・・・イ・・・」
カタカタという音がする。
この音は新堂さんの震える音?どこかで聞いたことのあるこの音は・・・。

バリン!

突然、廊下の窓ガラスの一枚が砕け散った。
荒井さんが舌打ちをする。そして・・・消えてしまった。
残ったのは僕と、日野先輩、新堂さん、彼に抱きかかえられた早苗ちゃん。
僕は、新堂さんの様子が気がかりだった。
「・・・新堂・・・さん・・・?」
僕が声を掛けると、新堂さんはくるりと振り返った。
そして、早苗ちゃんを僕に差し出す。
次の瞬間、彼は一段と激しく震えはじめた。
「新堂さん!?」
「さ・・・か、が、み・・・もう、この身体は、ダメ・・・だ・・・。早く・・・アイツ・・・ヲ・・・!」
震えるたびに、彼の身体はカタカタと音を立てる。
すると、新堂さんの身体から"新堂さんの姿"が、がくりと膝をついて倒れ込んだ。

そして、そこには・・・
「人形・・・?」
木で出来た関節がカタカタと鳴る。
大きな両の眼からは、真っ赤な涙が流れ出ている。
「イタイ・・・!クルシイ・・・!ミンナアブナイ・・・キミモ、カノジョモ、アイツハ、
 キニイッテイル・・・」
次第に、その声は聞き取りづらくなってきた。
ふるえが激しくなる。
「ハヤク・・・オモイダシテ・・・ユメノバショ・・・。アイツヲツナギトメテイルモノヲ
 ミツケルンダ・・・!」
そして一層激しくけいれんすると、人形は、バラバラに崩れ落ちた・・・。
「夢の・・・場所・・・?」
夢の場所・・・。僕は必死に自分の記憶を引っかき回した。
ふと、自分が何かを握りしめていることに気づいた。
それは・・・堅い、髪の毛だった。
「坂上・・・?」
日野先輩が、僕の肩に手をおいた。
「・・・校長室・・・」
僕はつぶやいた。
「は?」
日野先輩が聞き返す。
僕は彼に早苗ちゃんを預けると走り出した。
校長室だ。あそこに荒井さんに対する決め手があるはずだ。
僕は、堅い人形の髪の毛を握りしめたまま、階段を駆け上がった。

もうすぐだ・・・!



続く・・・。



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