明美、その愛
好きな人が居たわ。 ええ、とても好きな人。 私が高2になってまだ間もなかった頃、ひとつ上の先輩に告白されたの。 「ずっと、君を見ていた。付き合って欲しい」そう、言われたわ。 私の許可も無く、私を見ていたなんて腹が立ったけれど、その人の瞳はとても優しく て、誠実そうだったわ。 その日から、私たちは恋人同士になったの。 先輩は美術部の部長をしていてね、とても絵が上手だった。 何度もコンクールで賞をもらったりしていたわ。 私は、先輩の描く絵がとても好きだった。 少し経ってから、先輩に「明美の肖像画が描きたい」と言われたわ。 もちろん、喜んで返事したわよ。 先輩に描いてもらえるなんて、こんな嬉しいこと断るはずないもの。 それから毎日、私は放課後、部員が帰った美術室でモデルになったわ。 静かな美術室で、先輩と私は少し離れて向かい合ってね、一言もしゃべらず、先輩は 黙々とペンを走らせていたわ。 私も、ただ一点だけを見つめて、何も話さなかった。 とても有意義な時間だったわ。先輩の愛を感じていた。 私、とても幸せだった。本当に、心から幸せだったの。 ・・・あの日まではね。 季節は、吐く息が白くなり始めた頃。 いつもの様に、部活が終わった美術室へ私が行くと、先輩は随分と機嫌が良かった。 いつもならすぐにキャンパスに向かうはずなのに、その時は違ったの。 「良い話があるんだ。聞いてくれ」 先輩は、嬉しそうな顔をしていた。私は、早く絵を描いて欲しかったのだけど、 仕方なく、務めて笑顔で聞いたわ。 「あの有名なT美大の推薦が決まったんだ」 私は、無言だった。先輩の言った意味が理解できなかったから。 「明美、喜んでくれないのか・・・?」 「喜ぶ?どうして私が喜ばなければいけないの?」 「どうしてって・・・、俺が絵を好きなの分かってるだろ?あの美大は有名な講師が」 「ふざけないで!私を置いていく気なの?裏切るつもりなの?」 「ちょっと待てよ、大学に行くことが裏切りになるのか?どうしたんだよ、明美」 「そうよ!あなたは一生ここで私を描き続けるのよ。愛し合っているんだもの。  当然のことでしょう!」 私、悔しかった。悲しかったわ。永遠だと思っていたのに。 先輩はそうじゃなかった。私、裏切られたのよ。愛した人に。 「明美・・・、君はおかしいよ。そんな事出来るはずないじゃないか」 もう、我慢ならなかった。こいつは裏切っただけじゃなく、私を馬鹿にした。 「殺してやる・・・」 私はポケットからカッターナイフを取り出した。 あの男の顔色が変わったわ。 ゆっくりと刃を出しながら近づくと、あの男は金魚みたいに口をパクパクさせてね。 後ずさりした拍子に、画材道具がバラバラと床に落ちたわ。 私とあの男の距離がだんだんと縮まっていく。 「殺してやる・・・!」「や、やめ・・・ギャアアァァ!!」 耳障りな絶叫が響いたわ。あの男は左目を押さえて床に転がった。 何を大袈裟に痛がっているのかしら、たかが目を切られたぐらいで。 私、そう思ってまた腹が立ったわ。 だってそうでしょう?私はこいつに裏切られ、ひどく傷ついたのよ。 私の傷ついた心と比べたら、そんな痛み、何てこと無いはずなのに。 それどころかあの男は、私に許しを請おうとしたのよ。 左目からは血を、右目からは涙を流してね、許してくれって。 明美、許してくれって。馬鹿な男だわ。本当に。 起き上がろうとする身体を、私は馬乗りになって押さえ込んだわ。 「タ、タスケテ・・・!!」「死ね」 先輩の身体が一瞬大きく跳ねた後、刺した首から血しぶきが上がった。 勢いよく溢れた血は、私の顔を真っ赤に染めたわ。 やっと落ち着いた気分だった。そして、とても幸せだとも感じたの。 愛する人を作り、動かしていた血を私は浴びたのよ。 血は先輩そのものだもの。先輩の血を浴びることで私たち、やっと一緒になれたの。 しばらく恍惚としていたのだけど、あることを思いついてね。 先輩の身体から離れて、イーゼルに掛かったキャンパスを手に取ったの。 肖像画は、ほとんど完成していたわ。背景以外はね。 うふふふ・・・、解るかしら?私が思いついた、とても良いこと。 この絵は、先輩が私を愛した証。私と先輩が愛し合った証と言ってもいいわ。 この絵は、先輩の愛そのもの。だから、私は絵を完成させようと思ったの。 血はすぐ乾いてしまうから、私はもう一度先輩の身体を刺しまくったわ。 すべての血を絞り出すようにね。そうしないと足りないんだもの。 そして、完成したわ。 ほら、これがその肖像画よ。 綺麗に描いてくれているでしょう。背景はほら・・・、先輩そのもの。 あの日から、先輩はこの絵の中にいるのよ。 私は、この絵を胸に、一生先輩と居ようと思ったの。 でもね、今日でこの絵ともさよならしなければいけないわ。 何故ですって?だって、私にはもうあなたが居るんだもの。 この絵はもう必要ないわ。あなたがずっと、私の側にいてくれるんですものね。 さあ、そろそろ行きましょうか。 今から二人でこの絵を処分しなきゃ。焼却炉で燃やしましょう。 そのとき、改めて私と先輩に誓ってくれないかしら。 私を永遠に愛するって。永遠に裏切らないって。 誓ってくれるわよね、坂上くん。 うふふふふふ・・・。


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