Missing place
 
12月に突入したばかりの空気。
寒くなり始めたこの空気は、どこかさすような緊張感を醸し出していた。
まるで悲しい歌だけを歌わなければならない歌い手のような感じである。
そんな空気に溶け込みたいと思う一瞬は誰にでもある。
例えば、そう・・・まだ好きだという気持ちを伝える前に、意中の相手がいなくなってしまうときだ。
あの瞬間だけは、どうしても素直に受け入れることはできない。
心のどこかで割り切るのを拒否してしまうのだ。
その拒否反応をなくすのにどれくらいの歳月が流れたらよいのだろう。

 
12月頭の夜。坂上と恵美は仲良く作業をしていた。
坂上は写真の整理、恵美は原稿書きとそれぞれの作業に没頭していた。
無論、坂上は"没頭しようとしていた"という表現が正しいのかもしれない。
「ねぇ、坂上君」
「んっ!・・・あ、何?」
「ちょっと仕事頼んでもいいかな?」
「あ、いいけど・・・」
恵美は気付いていないみたいだが、坂上を囲む空気には余裕がなかった。
「3年前、今の時期の記事を探して欲しいんだけど・・・。私、まだ原稿まとまってないんだよね」
「あ、わかった。今探すね」
とりあえず、坂上は自分に与えられた作業を置いておき、恵美の依頼を引き受けることにした。
正直、3年前の記事を限定して探すというのも割と難しいもので、3年前というだけでかなりの記事があったりするのだ。 その頃の新聞部は、一時期日刊になるのではと言われるくらい発行していたのだ。 (そういえばどこら辺にあったっけ・・・) そう思っていたかどうかは不明だが、坂上は手際良く昔の資料や記事を探し出す。

だが、頭の隅では全然別のことを考えていたのだ。先日、荒井さんに告げられた嫌な事実である。 自分が恵美を好きである事。その恵美が来学期からスウェーデンに転校してしまうという事。
考えただけでもイライラが募ってしまう。
『でもこれからはちゃんと気持ちを確かめて、正直に生きてください』
すっかり彼の言葉が頭の中に巣くっていた。あまりに重過ぎるのだ、この言葉が。
今、自分の気持ちを言うべきだろうか。それともこのまま黙って見送るべきなのか。
坂上にとって重要な選択肢を突きつけられたのだ。
できれば避けたいのだが、避けることが許されない気がしているのだ。
あれこれ考え、悶々としているうちに目的の資料が見つかった坂上は、それを恵美に渡す。
「ありがとう。この資料、今回どうしても必要なの」
「え、どうして?」
「この頃の記事ってねぇ、ちょっとだけいいなって思ってたの。日野先輩はあんまり良く思ってないけどね」
「ははっ。そういえばその頃の記事って何の特集だっけ。確か日野先輩は、その頃について愚痴ってたみたいだけど・・・」
坂上は昔の記事に喰らいついていた恵美に問い掛けてみた。
「えっと・・・恋愛関係のコラムね。自分に正直な恋をしてるかってやつ。 私が今書いている『恋をすることについて』ってコラムの参考になるかなって思って」
その記事の内容に、坂上はゲームでいうところのクリティカルヒットを受けてしまった。
今の心情でそういうことはなるべく耳にしたくなかった。坂上の心は、一瞬荒れかけた。

「それでね・・・って坂上君?聞いてる?」
「ん、ああ、ごめんごめん。ちょっとボーっとしちゃってさ」
とりあえず、坂上は適当に嘘をついてみた。しかし・・・なんて事だ。 自分にとってこれほど都合の悪いコラムを書いているとは思いもよらなかった。 早くここから逃げ出したいという気分が、坂上の脳内を支配していたのは言うまでも無い。
「それよりさ・・・なんで恋愛関係のコラムを書こうと思ったの?」
慌てて坂上は、自分の気持ちに付いて聞かれる前に話の矛先を変えることにした。
「何でって・・・私さ、今月までなんだよね。今付き合っている人とイチャイチャできるのって」
荒井が言っていた事実。恵美は、新たな西暦になる頃には日本を離れるのだ。
そういえばコラムの内容を聞いていなかったことを坂上は思い出していた。
「それと今回書いているコラムと、どう関係があるの?」
「へへっ。それでね、見つけてもらったコラムの中に、遠距離恋愛についてどう思うか書かれていたの。 それはどんな風に書かれていたか。私の考えとどう違うか見てみたかったの。 違っていたら、そうじゃないと否定してやろうかと思ってさ。だって、反対されてばっかりじゃ悔しいでしょ?」
反対ばかりじゃ悔しい・・・妙にそのフレーズが、坂上の胸に引っ掛かった。 もしかして・・・本当の自分は嘘の自分に反対されて悔しい思いをしているのかもしれない。 そう思ってならなかった。
もし、この場で正直な気持ちを伝えることができたら・・・。
もし、この場で嘘まみれの自分に勝つことができたら・・・。
自分は自分を誉めてくれるのだろうか?
そんな波紋が坂上の身体を駆け巡る。

「そう、か。じゃあさあ。もし、その反対していることが付き合っている人・・・新堂さんだよね。新堂さんと同じ考えだったら?」
「ちょっと待ってよ!何で坂上君が私と新堂さんがっ」
「雰囲気で何となく、じゃダメ?」
「ダメってわけじゃないけど・・・。そんなにのろけてる様子だった?」
「ウン。でも、別に悪い事じゃないから今のままでもいいと思うよ」
「それならいいけど。あ、さっきの質問の答えなんだけど・・・」
今、恵美の恋愛観が垣間見れる。そう思うだけで坂上の胸はいっぱいだ。
「少しずつ二人の意見を組み合わせればいいと思うの。 ガンコじゃなければ完璧とまではいかなくても変える事はできるけど、そうじゃなかったらそうする以外方法ないんじゃない?」
「そ、そうか・・・」
自分より大人の意見に、坂上は少々面食らっていた。
ここまでしっかりしていると将来大丈夫だろうと妙な期待感を持ってしまう。
「きっとうまくいくと思うよ、倉田さんなら」
「えっ。いきなり・・・」
「僕ね。実は、つい先日まで自分が恋をしていたことがわからなかったんだ。 誰かに言われるまで気付かなかったし。そんな僕より、ずっとしっかりした恋愛感情を抱いているから・・・ 新堂さんも恵まれているのかもね。だからさ。少しくらい応援させてくれるかな?」
正直、こんな頼もしいことを言われるとは、恵美は思っていなかった。
実をいうと、自分の言ったことに少しばかり不安を感じていたのだ。
だからこそ坂上の言ったことは嬉しかった。

 
「で、結局言えなかったんですね」
呆れた口調で荒井は坂上を見ていた。
年が明けて数日。坂上と荒井は、二人で喫茶店にしゃれ込んでいた。
あの時のことを坂上は嬉しそうに語っていたのだ。
― 全く・・・正直になれとあれほど言ったのに ―
そう思う反面、随分と父性的な人物だなと坂上を評価する荒井。
「というより、言うのが照れくさかったんですよ。何となく見守りたいというか・・・」
「それは結婚式で両親が言うセリフですよ」
「わかってますよ」
「いつからそんなにわざとらしい事を言うようになったんですか。そこまで自分の気持ちを強調しなくても」
「悪いですか?」
ここまで面白い成長ぶりを見るとは、荒井も予想だにしなかった。
(これは・・・近い将来、新堂さんといいバトルを繰り広げてくれるかもしれませんね。 そのときは中立者として面白おかしく見させてもらいましょう、ふふっ)
そういうことを胸に秘めながら、終始珍しいものを見るような目つきで坂上と話し込んでいた。
坂上修一・・・もしかしたら一番の曲者は彼かもしれない。
 
―Fin―


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