続・人形の生け贄<前編>


…聞こえる…。また…。
けたけたと、乾いた笑い声。かたかたと、木でできた関節が動く音、
そして…
「ア・ソ・ボ…、ア・ソ・ボ…」
僕を呼ぶ声…。
人形が、僕を呼んでいる。
また…人形の夢だ…。
遠近感の狂った夢の中で、人形がじっと僕を見つめている。
同じ言葉を繰り返しながら、僕を呼んでいる。
でも、それだけ。
それだけだから、僕はじっと人形を見ているだけ。
そう、いつもはそれで終わっていたのに…。
今日は違った。
人形が、僕を見つめたまま、涙を流し始めたのだ。
乾いた木の瞳から、真っ赤な血の涙を。
そして人形は、僕に呼びかけてきた。
「サ・カ・ガ・ミ・ク・ン…サカガミクン、坂上君…!」
「…荒井…さん…?」
僕はその声に聞き覚えがあった。
「坂上君…坂上君…!」
「荒井さん?どうしたんですか?」
僕が問いかけても、彼は何も答えない。ただ、僕の名前をつぶやき続けているだけ。
何かを僕に伝えたがっている、それだけは判った。
「荒井さん?」
人形の姿をした荒井さんが、自由にならない身体で何かを僕に知らせようとしている。
僕は何とかしてそれを聞いてあげたかった。
でも、僕はただ彼に問いかけることしかできない。
「荒井さん、何が言いたいんですか?」
「坂上君…タスケテ…たすけて…助けて!」

…えっ?

「イタイ…いたい…痛い!クルシイ…くるしい…苦しい!助けて!
 坂上君、助けて!!」


「荒井さん!?」

僕は飛び起きていた。全身に汗をかいている。肩で息をしている。
「また…人形の夢…」
僕はつぶやいた。

…夢?
"また"?また人形の夢?
違う!
あれは、あれは荒井さんだ。荒井さんが僕に訴えかけていたんだ。
一体どうしたというのだろう?ひどく胸騒ぎがする。
ベッドから降りようとして、僕は気が付いた。
何かを強く握り締めている。
手を開いて、それを見てみると、そこには、僕の手の中には、
硬い、髪の毛が…、そう、あの人形の髪の毛があった…。


学校は、特に何の変化もなかった。
僕は少し拍子抜けしながらも、普通に一日を過ごした。
午前中までは……。
でも、午後の授業が始まって、先生が出欠の確認をした時、それは起こった。
いや、そう感じたのは僕だけだったんだけど。
先生が名前を呼んでいく。呼ばれた人は返事を返す。
その、先生の口にした名前に、僕は愕然とした。

「荒井昭二」

「はい」

紛れもないそれは荒井さんの声だった。
僕は声が聞こえた方、僕の左後ろの方を振り返った。
そこには、確かに荒井さんがいた。
僕の方を見て、にっと笑っている。
どうして?どうしてみんな気が付かないんだ?
…いや、荒井さんの仕業だ。
荒井さんが、みんなの記憶を操作しているんだ。
そう、あの七不思議の会合の時みたいに。
いないはずの自分を、いたことにさせているんだ。
それも、僕のクラスに。
でも、それだけだった。


それから荒井さんは、僕を避けるように行動して、結局は何もできないまま、放課後
になってしまった。
荒井さんを探してみたけど、やっぱり捕まらなかった。
そう、あの時と同じように。
仕方なく、僕は新聞部の部室に行くことにした。
あそこに行けば、何かが動き出すと思ったから。

僕は部室のドアを開けた。
「よう、坂上」
部室には、日野先輩がいた。
「あ、どうも」
僕もあいさつする。いつも通りの、新聞部だ、と思った。
そういえば、日野先輩は、荒井さんのことを知らないんだっけ?
あれ?どっちだったのかな?
よく思い出せないな…?
そんな事を考えていた。
その時、
「お前、何かあっただろ?」
突然、日野先輩が言った。見ると、いつもの日野先輩じゃなかった。
でも、僕の知っている日野先輩に変わりはないんだけど。
この学校の、『何か』を知っている日野先輩。
「わかりますか?」
「いや、『彼女』が教えてくれたから」
ああ、そうか。じゃあ全部お見通しなんだな。
「実は…」僕は最近あったことを話し始めた。
人形のこと、夢のこと、そして、今日僕のクラスにいた荒井さんのこと…。
「ふむ…」
日野先輩は少し考えるそぶりを見せた。
「わからないな」
「え?」
日野先輩の口から「わからない」なんて言葉が出てくるなんて…。
「その『荒井』って奴のことが解らない。俺はそいつのことなんか本当に知らないし、
 どんな奴かもわからないぜ?」
そんな…。日野先輩なら何か知っていると思ったのに。
それにしても、先輩にもわからない「荒井さん」って、一体何者なのだろう?
第一、 彼はあの時に消えてしまったはずだ。
どうして、今になって僕の前に現れたりしたんだろう?
どうして?
その時、

こつ…

小さな音がした。はじめは、気のせいかと思った。でも、そうじゃなかった。

こつ…

もう一度…。

こつ…

もう一度…。

「どうやら、お客さんみたいだな」
日野先輩は椅子から立ちあがった。そして、ドアの方を見る。
小さな音は、ドアをノックする音…?
僕は日野先輩の顔を見た。先輩は僕を見てうなずく。
僕は、大きく息を吸い込んで、言った。
「どうぞ」
すると、ドアはゆっくりと開いた。

そこには、見慣れた人物が立っていた。
「何だ…、お前か」
日野先輩はふっとため息を吐く。
僕も気が抜けてしまった。
「早苗ちゃん、どうしたの?」
そう、ドアの向こうでにっこり笑っていたのは、僕と同じ一年生の元木早苗ちゃんだ
ったのだ。
僕はてっきり荒井さんだと思ったのに…。
「坂上君、おばあちゃんが言ってたよ」
唐突に、彼女は言った。
僕は思わず身構える。何か、重要なことだと思ったから。
「子供の涙は嘘泣きよ。甘やかしたら、良くないことが起きるって」
……?
…よく、解らなかったな…。
でも、詳しいことを聞こうと思ったら、早苗ちゃんはくるりと回れ右をして、さっさ
と行ってしまった。

あーあ、何だか拍子抜けしちゃった。
「相変わらずだな。元木は」
日野先輩が、皮肉めいた笑みを浮かべて言った。
今の早苗ちゃんの言葉は、どういう意味だったんだろう?
僕と日野先輩は、しばらくその場に立ち尽くした…。



続く・・・



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