続・人形の生け贄<中編1>


…ここはどこだろう?見覚えがある。
革張りの椅子とビジネスデスク、ガラス張りの戸棚、たくさんの傘がある傘立て、大
きな木のタンス……。
僕はこの場所を知っている。ここは、どこだっただろう?
僕は机に近づいた。
この机の上も、僕は見たことがある。
分厚いノート、これは日記帳だろうか?
でも、一番気になったのは、無造作に置かれたフォトスタンド。
僕は無意識のうちに、それを手に取っていた。
その写真に写っていたのは………。

「坂上、おい坂上」
…誰かが僕の身体を揺すっている。
ここは…?
…はっ!
「あ、あれ?」
僕は目をこすりながら周りを見る。
ここは、僕の教室だ。そう、1年E組の。
「ったく、気持ちよさそうに寝やがって」
頭の上から声が聞こえる。僕は声のした方を見上げた。
「よお。お早いお目覚めじゃねえか」
「あ、新堂さん」
僕の頭上で笑っていたのは、新堂さんだった。
どうやら、僕は教室で眠りこけていたようだ。
時計を見ると、今は昼休み。授業中から眠っていたのだろうか?
「ったく、俺が廊下から何度も呼んだのに気がつかねえんだもんな。
 おめでたい奴だぜ」
そう言って、新堂さんは軽く笑った。
そんな新堂さんを眺めながら、僕は胸の中に、言いようのないもやもやがあることに気
づいた。
…何か、夢を見ていたような気がする。でも、どんな夢だったっけ?
思い出せない。
なぜだろう?
またひどく胸騒ぎがする。どうしてなのかはわからない。

早苗ちゃんが去ってから、僕と日野先輩は、すぐに部活を切り上げて帰宅した。
僕も日野先輩も、何か、ものを考えるような気分ではなくなってしまったのだ。
だけど、僕は彼女が言った言葉が気になって仕方がなかった。
早苗ちゃんの言葉には、いつだって大切な意味がある。
きっと昨日の言葉も、何か意味があるのだろう。
…人形。
そう、僕の夢の中にずっと巣くっているあの人形。
…夢。
そう、眠りにつくたびに僕に"何か"を知らせる夢。
……そして、荒井さん。
昨日、僕のクラスにいた荒井さん。
僕を避けていた荒井さん。
…そうだ。新堂さんは、何か知らないだろうか?

「新堂さん、昨日、荒井さんを見ませんでしたか?」
僕は新堂さんに聞いてみた。
新堂さんなら、荒井さんのことを知っているから、何かわかるかも知れない。
そう思ったのだ。
「荒井?」
新堂さんは首を傾げる。僕は続けた。
「ええ。信じられないかも知れませんけど、昨日僕のクラスに荒井さんがいたんです。
 でも、だれも変に思ってないみたいで…。新堂さん、どこかで荒井さんを見ていま
 せんか?」
「おいおい坂上、お前、何言ってんだよ?」
新堂さんは怪訝そうな顔で僕を見る。
どうやら、新堂さんは荒井さんのことを見ていないようだ。
だとしたら、変な質問になっていただろう。
でも残念だ。何かわかれば良かったのに。
「すみません、おかしな質問でしたね」
「全くだぜ」
新堂さんは肩をすくめる。
「第一、荒井って誰だ?」

…え?

僕は耳を疑った。
『荒井って誰だ?』
新堂さんはそう言った。
信じられなかった。
新堂さんはあの七不思議の会合に出席して、確かに、荒井さんの話を聞いていたのに。
荒井さんと会っていたのに。
そして、本人曰く、"ぶっ飛ばしてやろう"と荒井さんのことを捜し回ったというのに。
一体どうなっているのだろう。
…そういえば、これと同じようなことが前にもあった気がする。
あれは…そうだ。
七不思議の会合があった次の日…。


『その荒井って奴が、生け贄になったんだな』
『違いますよ。荒井さんが話してくれたんです』
『ちょっと待て。荒井って誰だ?』

「日野先輩!」
僕は声をあげていた。
今、僕の目の前の新堂さんと同じ顔で、同じことを言っていたのは日野先輩だった。
今の新堂さんはおそらく、人形…荒井さんに記憶を変えられているのだろう。
僕のクラスの人たちと同じように。
でも、だとしたら、日野先輩も、そうだったのではないだろうか?
そうだ。日野先輩に会おう。新聞部の部室に行こう。
「坂上?どうしたんだよ?」
新堂さんが僕の顔を見る。
そういえば、彼は僕にどんな用があったのだろう?
「新堂さん、僕に何か用があったんじゃないんですか?」
「は?ああ、別に用があった訳じゃねえんだ。」
言って、新堂さんは窓の外を見た。
「ただ、嫌な天気だと思ってな…」
僕も、窓の外に目を向ける。
あの日と同じだった。
どんよりとした灰色の雲が空一面を覆い尽くし、いつ雨になってもおかしくないような
、そんな空だった。
なぜだろう。胸騒ぎがする。

僕は、ふと廊下の方を見た。
「!!」
僕は、思わず声をあげそうになった。
教室のドアのところから僕を見ているあれは、あの人は、荒井さんじゃないか!
荒井さんは、にっと笑うといなくなってしまった。
「荒井さん!」
僕は慌てて後を追う。
「坂上!?」
新堂さんが気になったが、僕はそれどころじゃなかった。
すぐに追いかけたはずなのに、廊下をいくら見渡しても荒井さんの姿は見当たらない。
また見失ってしまった。
僕は、とりあえず廊下を進んでみた。
予鈴が鳴ったけど、気にしていられる状態じゃなかった。
階段の踊り場に、ズボンの端が見えた。
僕は階段を駆け上がる。
一気に上った為、呼吸が荒くなる。
気が付いたら、屋上に来ていた。
ざっと見渡すが、人影はない。
どうやら、ここではなかったようだ。
僕は教室に戻ろうとした。

「坂上君」

その声は突然僕を呼び止めた。
誰かは解る。
「…荒井さん…」
僕はゆっくりと振り向いた。
荒井さんは、屋上の柵の向こう側に、まるで浮いているかのように立っていた。
口元に浮かべた笑みが、まるで死神の冷笑のようで、僕は自分の身体がかすかに震える
のが解った。
「荒井さん、一体何をしようとしているんですか?
 僕の夢の中に出てきて、何を僕に伝えようとしたんですか?
 僕のクラスに来て、みんなの記憶をいじって、何をするつもりなんですか?」
僕は、自分が感じている恐怖を振り払うかのように、一気に荒井さんに問い掛けた。
でも、荒井さんは何も答えない。
僕は、それ以上何も言えなかった。
全身の関節が、まるで自分のものではないかのようにがくがくと震え、冷や汗が滝のよ
うに流れ落ちる。
「坂上君、僕を助けてくださいよ。」
荒井さんのその言葉は、まるで死刑宣告のように聞こえた。
あの時と同じように、自分の『死』が手の届くところに近づいてくるのが解る。
「さあ、坂上君…」
荒井さんの声が耳に張り付く。
恐怖が全身を駆け巡り、僕の精神に限界が来る、まさにその境目だった。

『逃げるんだ!!』

なぜか新堂さんの声が聞こえた。
その声に反応するかのように、僕は反射的に振り返ると、その場から逃げ出そうと走り
出した。
「新堂君、まだそんな真似ができるんですか…」
荒井さんがつぶやくのが聞こえる。
僕は構わず走った。
「違う!そっちじゃない!止まれ坂上!」

その声が、僕の気持ちに歯止めをかけた。

『坂上君!!』

彼女の声が、僕の目を覚ました。

ガツンという手応えとともに、僕の腹部に鉄製の柵が食い込んだ。
もう少し走るスピードが付いていたら、僕はこの柵を乗り越え、真っ逆さまに落下して
いただろう。
僕はドアではなく、屋上の縁に向かってダッシュしていたのだ。
おそらく、荒井さんの仕業だろう。
新堂さんと早苗ちゃんに感謝だ。
ドアの方を見ると、早苗ちゃんがいた。
向かい合うように荒井さん。
「元木さん…。あなただけは僕の思い通りにはならないようですね」
「あなたの思い通りになる人なんていないわ」
「もう少しで、坂上君を……ことができたのに…。
 あなたが余計なことをしてくれたから…!」
荒井さんの声に、恐ろしいほどの憎悪がこもってきたのが解った。
「わがままで自分勝手なお坊ちゃま!
 これ以上あなたのわがままには付き合えないって!」
早苗ちゃんが珍しく声を荒立てている。
「そうはさせない。僕は、欲しいものはどんな事をしても手に入れます」
「立ち去りなさい!子供はもうお休みの時間よ!」
早苗ちゃんの声が、彼女ではないしっとりとした、それでいて威厳のある中年の女性
の声になっていた。
荒井さんはクスクスと笑い、
「まあいいでしょう。今日のところは僕は退散しましょう。
 でも僕は諦めませんよ。一番邪魔な存在は何とか抑えてありますし、僕をここに
 繋ぎ止めておくものは、まだ残っていますしね」
そう言うと、まるで空気に溶け込むかのように消えてしまった。

その後、僕は早苗ちゃんと別れて新聞部の部室に来た。
新堂さんを探してみたけど、見つけることができなかった。
日野先輩は来ていない。
何か手がかりになるものはないだろうか?
僕は部室を見回した。
そういえば、日野先輩は、あの七不思議の会合の記録か何かをファイルしておいてくれ
ただろうか?
僕は棚を調べた。
…あった。
背表紙には『学校であった怖い話』と言うタイトルが書かれている。
僕は、そのファイルを取り出した。
表紙を開いたとたん、僕はファイルを取り落としてしまうところだった。
一ページ目に、「出席メンバー」というタイトルの表があった。
そこには、七不思議の会合に出席する人の名前が載っていた。
全部で、七人。
新堂 誠
岩下明美
風間 望
清瀬尚道
細田友晴
福沢玲子
そして…荒井昭二。
そう、荒井さんは確かに日野先輩に呼ばれていたのだ。
日野先輩は荒井さんのことを知っていたのだ。
僕は、日野先輩にこのページを見せることにした。
最後に荒井さんが言っていた『一番邪魔な存在』とは、おそらく、日野先輩のことなの
だろう。

僕は、放課後まで部室で日野先輩を待ち続けた…。



続く・・・



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